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【小説】彼女の観測問題

彼女の観測問題  土井ヴぃ

「京一、ちゃんと聞いてるの?」
「ちゃんと聞いてるよ。それに……その話はもう何回も聞いた」
「……まあ、そうだけど」
 幼なじみのまふゆが隣で苦笑いを浮かべた。
「よく飽きないな、同じ話を何回も」
「そうは言ってもね、面白い話じゃない? 君がわたしを観測しなければ、わたしは存在しない。うん、哲学だなぁ」
「そうか?」
「そうだよ」
 彼女は、最近よくこの話をする。
「引越しの準備はどう? ちゃんと進んでるの? 君の部屋は汚いんだからさ、おばさんも苦労してるでしょ」
「ご心配どうも。残念ながら、自分の部屋は自分でやってるよ」
「ホントにあと一週間で間に合うの? 前にお邪魔したときの様子だとかなりかかりそうだったけど」
「大丈夫だろ。何とかなるさ。……それにしても、随分気にするんだな、引越しのこと」
「そりゃ、気にするに決まってるでしょ? 何といっても、十年来の友達と離れ離れになるんだから、さ」
 まふゆは突然前に立ちはだかり、俺の頬に両手を当てる。その声の大きさに、俺は目を白黒させた。毛糸の手袋がちくちくとこそばゆい。
「……」
「なんだよ」
 数瞬、俺とまふゆの視線が絡まる。彼女の澄んだ瞳が妙にきれいに見えた。気恥ずかしさに堪えられず視線を逸らすと、何が面白かったのか、彼女はふっと小さく笑って、手を下ろした。そしてそのまま、歩き出してしまう。
「……なんだよ」
 さく、さく、さく
 日差しに少しだけ融けた雪の上、足跡が二人を追いかけていく。
「人が見てたぞ、さっき」
「そっか」
「恥ずかしいやつだな」
「……そうだね」
 バスはもうすぐ来るだろう。彼女は、国道の右側をぼんやりと見やっていた。白い頬が寒さのせいでうっすらと赤く染まり、不覚にも少し胸が高まってしまう。
「ねえ、京一」
「ん?」
「……引っ越しても、わたしのこと忘れないで、ずっと覚えていてくれる?」
 ……またこの目だ。
「当たり前だろ。そんな簡単に忘れられるかよ。何年付き合いあると思ってるんだ」
 まふゆは最近、よくこの目を俺に向けてくる。
「それに、電車使えば二時間で行き来できるんだ。この先二度と会えないわけじゃない」
「それはそうかもしれないけど」
「会おうと思ったらいつでも会える」
「だって」
「……何がそんなに心配なんだよ」
「だって、ね?」
 この、何かを請うような、何かを引きずり出そうとするような目で俺を覗き込む。
「さっきも言ったけど、君がわたしを観測しなくなれば、わたしは存在しなくなるかもしれないんだよ」
「……」
「……」
「……」
「……バス、来るね」
「ああ」
 でも、そんな目を向けてくる理由は、俺がいくら聞いても答えてくれないのである。
 結局、いつものように二人でバスに乗った後は、まふゆが先に降りるまでお互いなにもしゃべらなかった。

 ある有名な物理学者いわく、「月に背を向けている間、もしかしたら月は存在していないかもしれない」らしい。
 かれこれ三年ほど前から、まふゆはこの話題に不気味なほど興味を持っており、俺がどれだけ興味が無いという意思を表明しても、幾度と無くこの話題を持ちかけてくる。あるときは問いかけるように、またあるときは自分自身に説くように。それは人間原理とか科学的実在論とかいうらしいが、理系も文系もそれなりに弱い俺にとってはさっぱり理解できないシロモノだった。
 小さな頃絵本で読んだ、夜寝ている間に動き出すおもちゃの兵隊だとか、寝ている間に靴を作ってくれる小人だとか、そういうものは無いことにする、という考え方だということでとりあえず分かった振りをしているが、だったらビデオカメラで撮影していればいいのではないかという疑問に突き当たり、俺の思考はそこで止まってしまうのである。
 とはいえ、門前の小僧が何とやら、まふゆが週に一度は必ず口にするこの話題に対して、相槌を打つくらいの知識はあるわけだが、どうしても気になることがあった。
 まふゆはごくたまにではあるが、先ほどの話の月を、彼女自身に置き換えて語ることがあるのだ。そして、俺が引越しをすることが決まってからは、その頻度がぐんと上がった。その話をするとき、決まって彼女の瞳はさっきのように、何かを請うような、それでいてどこか諦めているような、そんな風に不安定に揺れるのである。
(そろそろ説明してくれてもいいと思うんだが……)
 疎遠になっていた一時期も含めればもう十二、三年の付き合いだから、何となく相手の思っていること、やろうとしていることが分かってしまう。同じように、俺が、彼女が何を訴えかけているのか知りたがっていることも、恐らく彼女は悟っているだろう。守りは堅い。
 俺は自室の荷物整理の手を止め、壁のカレンダーを見た。高二の最後に引越しなんて、ついてないと思う。新しい高校に行って、やることは受験勉強だけなんてあんまりじゃないか。子供の頃に引越ししたときはもっと心躍るものだった覚えがある。歳を取るとはこういうことなのだろうか。

 結局、まふゆの真意の分からぬまま、出発の電車に乗ることになってしまった。
「まだ出るまで三十分もあるのに」
「まあ、いいじゃない。次、いつ帰ってくるか分からないし。京一は、薄情者だからね」
「そうか?」
「そうだよ。イルカを見に行ったときのこと、忘れてないんだからね」
「ちょっと待て、それ何年前の話だ」
「中二の冬だから……三年前?」
「もう時効だろ……それに、遅れたお前が悪い」
「他の事例挙げればいいの?」
「……」
「……何?」
「まったく」
「……」
 しばし無言の時間が続く。
「なあ……」
「……ん?」
「いい加減、教えろよ」
「何を」
「何か言いたいことあるんじゃないのか」
「……いいの、もう」
「なんだよ」
「話すタイミング逃しちゃったから、もう言わない。……秘密にする」
「なんだよ」
「それに、どうせ言わなくても、いつか、分かっちゃうもん」
「こっちは気になって仕方ないんだが」
「知ぃらない」
「……はいはい」
 お互いに、電車の到着時刻を示す電光掲示板の方を向いたまま、ぽつり、ぽつりと他愛の無い思い出話をしているうちに、電車がホームに入ってきた。
「ほら、電車来たよ」
「ああ」
「行かなきゃ」
「ああ」
「じゃ、また」
「…………ばいばい」
 電車に乗る直前に振り返ると、まふゆの小さく手を振るのが見えた。粉雪が降っていたせいか、その姿は少しぼやけて見えて、彼女との距離が急に開けてしまったような、そんな奇妙な不安感を抱いた。

            *

 ただでさえ短い春休みは、引越しのどたばたのせいであっという間に終わってしまった。そして、学校の帰りに一緒にゲームセンターに寄る程度の友達ができる頃には、もうすぐゴールデンウィークに差しかかろうとしていた。
 前の高校の友人から電話が掛かってきたのは、連休の初日を控えた夜のことだった。
「お前に貸してたのか。どこ行ったかと思って少し探してたんだ」
 それは何の他愛の無い、引っ越す前に貸した漫画本の話題であった。
「いやあ、悪い。こっちに帰ってくるなら渡すけど」
「あー、まあお盆辺りまでそっちには行かないと思うから、それまでいいや」
「ん、そっか。すまんな」
「気にすんな。……そういえば」
 俺は引っ越してからその日まで、元々の高校の友人たちと一切連絡を取っていなかったことを思い出した。もちろんその中にはまふゆも含まれている。……この辺が薄情者と言われてしまう所以なのだろうか。
「どうかしたか?」
「いや、何でもない。クラスの奴どうしてるかな、と思ってさ」
「まあ、どうもしないさ。教室の雰囲気が少しだけ受験生っぽくなってきたけど」
「そっか。まあそんなもんだよな……」
 後ろ髪を引かれる思いではあったが、世間話をそこそこに電話を切る。
(やっぱ、一ヶ月も会話しないと微妙に変な感じがするな……そうだ、もののついでに、まふゆにも電話してみようか)
 俺は十数年に渡って幾度と無く使った電話番号をプッシュした。
 ……しかし。
「お客様のお掛けになった電話番号は、現在使用されておりません。番号をお確かめの上……」
(あれ?)
 そんなはずはない、そう思った。少し考えて、市外局番を付けていないことに気づいた。
 もう一度、今度は市外局番を付けてボタンを押し直してみる。
「お客様のお掛けになった電話番号は……」
(……?)
 結果は、変わらなかった。
 何度かやり直してみるも、電話はつながらない。
(おかしいな……番号が変わったのか? いや、でもそれならアイツはきっとこっちに知らせてくるだろうし……)
 俺は首を傾げながら、めったに使わない電話番号メモを茶の間のタンスの引き出しから持ってきて、乱雑なメモの中からいつか自分が書いた幼い字を探す。
 奇妙なことは、いよいよ続いた。目を皿のようにして何度も何度も探してみるが、見つからないのである。何度か使った覚えがあるから、このメモ帳であることは間違いないはず。あまりに乱雑なため、見つけにくいのは確かだが、探している番号は、あるはずの場所に無い、という印象なのである。
 別に今すぐにまふゆに電話をかける必要は無かったが、こううまくいかないと気になって仕方ない。俺は部屋に戻り、まふゆの電話番号が載っていそうな冊子、プリントの類を探し始めた。引っ越す際に荷造りしたまま開封していない段ボールも展開して、心当たりを引っ張り出す。
 それは、小学三年生の春休み直前に配られた文集で、一年間に発行された学級通信や国語の授業で書いた作文などがまとめられたものだった。自分の記憶が間違っていなければ、当時の緊急連絡網が載っているはずである。
 一番最初に思いついたのがその冊子だったのだが、首尾良く見つかったことにホッとしつつ、俺は冊子の中から連絡網のページを探し出す。先のメモとは違って、今度はすぐに見つかった。
 ――けれども、まふゆの名前は、見つからなかった。
 ぞくっ……と、嫌な寒気がした。同時に、何に対してなのか分からないが、気づかなければ良かった、という感想が心のどこかで無意識のうちに芽生えていた。

 本当は、その原因にうっすらと思い当たっていた。だが、そんなことあるはずがない、何かの間違いだと必死に否定した。否定したかったが、状況証拠は固まるばかりであった。
 文集には、連絡網だけで無く、まふゆの作文も、学級通信の、まふゆの絵が市内のコンクールで結構いいところまで行ったときの記事も、何も載っていなかったのである。……ちょうど、まふゆが、別のクラスかどこかの生徒で、クラスにそんな人物などいなかったかのように。
 思い違いかもしれない、同じクラスになったのは小二、あるいは小四のときだったかもしれないと思い、段ボールの底の方にある、小学校の卒業アルバムも引っ張り出す。整然としていた部屋が古い冊子やプリントで埋まっていくが、俺は気にも留めず、一心不乱に探していた。
 そこにあるはずの、まふゆの名前や写真。小学校だけで無く、中学校のアルバムも引っ張り出し、母にわざわざ頼み込んで幼稚園時代のアルバムまで見せてもらったが、それは、どこにも、無かった。
 決定的だったのは、母の一言である。
「そんな仲いい女の子いたっけ?」
 小学校の頃はよく遊びに来ていたから顔を知っているはずだし、高校に入ってからもたまにではあるがまふゆと出かけるときがあって、その度に俺はまふゆの名前を会話に出しているはずなのだが、母は全く思い至らないようなのである。
 俺は「こいつだよこいつ」というふうに、中学校のアルバムの、集合写真の中のまふゆを指差して示してやりたかった。しかし、その集合写真も母と同じように、まふゆの存在を忘れてしまったらしい。どこを探しても、まふゆはいなかった。
 何度話しても母はキツネにつままれたような顔をするばかりなので、俺は母からまふゆの名前を聞き出すのを諦めた。手当たり次第に引っ張り出した懐かしい冊子やらプリントやらアルバムやらを元の段ボールに収めながら、それらからまふゆの名前や写真を探し出すのも諦めた。――直接会って確かめるしかないと、悟ったのだ。

 次の日は、連休の初日にちょうどいい行楽日和の晴れ空だった。昨夜はあまり寝付けなかったせいか、一段と朝の日差しが眩しい。
 俺は、今自分が置かれている状況の奇妙さに追い立てられるような気持ちで、家族が驚くくらい早くに家を出て、駅に向かった。自分が一ヶ月半ほど前まで住んでいた街に向かう電車は、連休だからだろう、引越しのときに乗ったときと違ってかなり混んでいた。
 どうせ言わなくても、いつか、分かっちゃうもん。
 まふゆが寂しそうな笑顔で最後に言った言葉を、俺は何度も反芻した。多分、彼女はこういうことになることを知っていたのだろう。自分が、まるで最初からいなかったかのように、“観測”できなくなってしまうことを。
 昔の映画で見たことがある。主人公は実は途中で死んでいて、周りの人は幽霊になった主人公のことが見えないけれど、主人公は自分が幽霊になったことに気づかない。巧妙な演出のおかげで、観客もその主人公と同じように、主人公が死んだことに最後まで気づけない。今の自分はちょうど、その主人公が「自分が死んだこと」を疑いもしなかったように、「まふゆが存在した」とただ思っているだけで、実は最初からまふゆはいなかった、そういう結論に差し掛かっている。……冗談じゃない。俺は観客の立場だ。実際にそんなことがあっていいはずが無い。そのはずだ。
 でも、現実にそれは起こっている。もし会いに行って、まふゆがいなかったら、俺はどうすればいい?
 電車を降り、乗り慣れたバスに乗って、住んでいた家に向かう。窓に張られた「売家」の表示が、何とも切ない気分を誘うが、今はそれどころではない。
 まふゆの家は、俺の家から歩いて十五分ほどのところにある。何度も遊びに行ったことがあるので、迷うことはないのだが、まるで迷子になったような不安な気持ちでいっぱいで、その不安がはっきりとした現実として突きつけられたとき、俺は頭の中が真っ白になって、息をするのを忘れてしまうくらいだった。
 まふゆの家があるはずの場所は、ただの空き地になっていた。引越し直前に訪れたことがあるから、場所を間違えているはずは無いし、まふゆが引越したという話も聞かされていない。何より、とても一ヶ月半前までそこに家があったとは思えない状態なのだ。いたるところにタンポポが咲いており、真ん中には溶けかけた小さな雪山が残されている。冬の間、雪の置場にされたのだろう。アルバムの写真と同じように、まふゆが住んでいた家は、最初からそこに無かったことになっているらしい。
 心臓をぎゅっと握られた気分だった。どっと冷や汗をかいたらしく、手のひらにぬるっとした感触を覚える。俺はその汗をジーンズを握るようにして拭き、もう一度辺りを見回す。見間違えるはずが無い。確かにこの場所に、まふゆの家があったはずなのだ。近くを歩いている人に「ここに家が無かったか」と聞こうかとも少し思ったが、さすがにここまで来て、それをやってみる気は起きなかった。返ってくる答えは、決まっている。
 まふゆは、恐らく今起きている異変について何か知っている。だが、それを聞き出すには、そのまふゆに会わなくてはならないのだ。俺は途方に暮れ、とりあえず今の状況を必死に整理しようと、近所を歩き回った。見慣れた風景は、俺がいなくなっても何一つ変わることなく、同じように五月を迎えていた。俺はその中で一人取り残されてしまった。足元が崩れていき、ぞっとするほどの孤独感が自分を支配している。考えがまとまらないうちに町内を一周すると、知らない間に一時間以上経っていた。
 普段の運動不足が祟ってか、足に疲労を覚えたので、俺は小さな頃によく遊んだ近所の公園に足を踏み入れた。すでに昼も近くなっていたので、走り回る子供やその親と思われる人々でにぎわっている。近くの自動販売機で缶コーヒーを買い、ベンチに腰掛けた。それにしてもよく晴れている。空を見上げながら、そういえばまふゆと最初に会ったのもここだったな、と思い返す。出会ってから今まで、俺は長い夢でも見ていたのだろうか。今まで見てきたまふゆという人間は、幻だったのだろうか…………。
「ようやく」
「……あ」
「ようやく来た」
「……まふゆ」
 振り返ると、恨めしい目で俺をにらみつけるまふゆの姿があった。
「薄情者だ」
「まふゆ!」
 俺は驚き飛び上がると、彼女の両腕や肩、頬に手を当て、彼女がそこに存在していることを確かめる。まふゆは嫌がる素振りも見せず、ただ低い声で、
「恥ずかしいやつだな」
 とつぶやいた。
「子供が見てるよ」
「ああ」
 相槌を打つしか、できなかった。
「京一」
「……まふゆ」
「驚いた?」
「ごめん」
「わたしこそ」
「なんで」
「ホントは、ずっと話そうと思ってた」
「なんで」
「話すと、京一に迷惑かけるもん」
「まふゆ」
「今日は、ゆっくり話すよ。……お腹空いちゃった。とりあえずご飯食べに行こう?」

 二人で並んで、国道から少し奥に入ったところにある小さなカレー屋に向かう。休日の昼食などに、二人でよく食べに来たことのある店だ。もちろん、ここは無くなったりすることもなく、変わらず営業している。さっきまでの状況のせいで、世界が劇的に変わったような、浦島太郎にでもなったような気がしていたが、そもそも俺がこの街を去ってからまだひと月と少ししか経っていないのだ。
 いつものようにまふゆと向き合って席に着く。
「ごめんね」
「いいよ別に。会えたんだから。前もって話しておいてほしかったけど」
「まあ、わたしなりの葛藤があったというか、言えなかったんだ。……それとなく知っておいてもらおうと思って、そういう話はしたけど」
「……後ろを向いているときは月は無くなるってやつか」
「そう。京一が引越して、わたしを観測する人がいなくなった。だから、わたしはいなくなった」
「話が、分からないな」
 注文したカレーが二つ、並べられる。さっきまで気が張り詰めていたせいでどっと疲れた体に、スパイスの香りがいい具合に元気付けてくれる。
「こうやって、カレーが二人分運ばれてきたじゃないか」
「……多分京一は透明人間か何かだと思ってるかもしれないけど、そういうことじゃないの。わたしはね、京一。君に観測していてもらわないと存在できないんだ。簡単に言うとね」
「……どういうこと」
 いつにも増して、まふゆの話は意味不明だったし、奇妙だった。でも、それ以上におかしいことが現実に今、俺の周りで起きている。まふゆの口から直接語られるだけまだリアリティがあった。
「こっちにわざわざ来たってことは、気づいたんでしょ? ……わたしが、いなくなったと思ったんでしょ?」
「あ、ああ……」
「生まれつきなんだ。わたしも……詳しいことは分からないけど、存在が、希薄なんだって」
「……」
「だから、京一に観測してもらわないと、消えちゃう。いないのと同じになっちゃう」
「……そっか」
「でも、それを京一に言っちゃうと、京一はどこにも行けなくなっちゃうじゃない」
「そんなこと」
「そうだよ。京一、優しいもん。今だって、わざわざここに来てる」
「それは、突然……アルバムとか見てもお前いないし、母さんも知らないって言うし……」
「だから、言えなかったんだ。今日の京一の様子見てると、言っておいた方が良かったって後悔してるけど」
「なんで俺なんだ」
「知らない」
「なんで……」
「あの公園で会ったのは、わたしも覚えてる。で、それからずっと京一と一緒だから」
「俺が引越してからはどうしてたんだよ」
「ずっと、京一を待ってたよ」
「そんな……訳、分かんねぇよ……」
「わたしにも分からない。……でも、平気だよ、京一がいるから」
「……なんで俺なんだ」
「知っても、しょうがないと思うよ。分かったからってどうすることもできない」
「……」
「……ごめんね」
「どうすればいいんだ、これから。どうするんだ」
「……どうしようね」
 空になったカレーの皿は、すっかり乾いていた。俺はいまだに自分の置かれている状況を理解できていなかったが、明らかにしておかなければならないことが一つあるということは、分かっていた。
「家は? さっき行ったら空き地になってたぞ」
「多分わたしと一緒に行ったら普通にあると思うよ」
「……住むところには困ってないんだな」
「……ついこの前まで普通に暮らしてたのは、知ってるでしょ」
「そっか……いや、そりゃあそうだけど」
 こいつは、俺がこの街を離れて家に戻ったら、どうなるんだ?
「これから……どうする」
「それさっき言ったよ」
「だって……」
 まふゆが俺の家の近くに住めばいいんだろうけど、高校生がそんなことできるわけないし、かと言って俺がこっちに戻ってくることもまた、不可能だろう。
「今は、無理だろうね」
 俺のそんな考えを読んだのか、まふゆが話をつなげる。
「でも、来年からは」
「!」
「わたし、京一のこと、頼ってもいいかな」

 引越した日と同じように、俺はまた、まふゆに送られて電車に乗った。
「ごめんね」
「……しょうがないんだろ」
「わたしは、大丈夫だから。……待ってる」
「…………任せとけ」
 ――長い仲だ、まふゆに対して、できることがあるのなら。
 電車の中で、俺は出発前にインスタントカメラで撮った写真を見ていた。俺とまふゆのツーショットだが、明日か明後日には俺一人になるだろうと、まふゆは言っていた。夕焼けに照らされた田畑が延々と流れていく。
 家に着く頃には、日は完全に沈んでいるだろう。今夜は月は見えるだろうか?

※サークル機関誌より転載
※2014/6/12 「小説家になろう」へ転載
http://ncode.syosetu.com/n5923cd/