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今、仏印進駐が密かなブームと俺の中で話題に

仏印進駐(ふついんしんちゅう)とは、第二次世界大戦下におけるフランス領インドシナ(仏領印度支那)への日本軍の進駐のことを指す。1940年の北部仏印進駐と、1941年の南部仏印進駐に分けられる。南部仏印進駐は日米関係の決定的な決裂をもたらした、太平洋戦争への回帰不能点であると評されている。

仏印進駐 - Wikipediaより(リンクなど一部改)

歴史上のキーポイントでありながら、中学歴史では省かれ*1、高校日本史/世界史でも習ってすぐ忘れるほど地味なイベントがこの仏印進駐であります。

要約すると以下。

  • 英米の中国への支援により日中戦争が長引く
  • 中国への補給ルートのひとつがフランス領インドシナにある
  • フランス本国はドイツにボコられている
  • フランス植民地の保護を名目に進駐すればルートを遮断できる

インドシナには本気出した日本軍に抵抗できるだけの戦力が無く、進駐を拒否すれば普通にボコられるので、フランス的には飲まざるを得なかった。

北部進駐から南部進駐まで

要約すると以下。

  • 北部進駐(1940年6~9月)後、日独伊三国同盟(40年9月)、日ソ中立条約(41年4月)を結ぶ
  • 周辺国の警戒を招き、経済制裁を食らいまくる(ABCDライン)
  • 南部進出の足がかりを確保するため、南部にも進駐(41年7月)
  • アメリカをブチ切れさせる

ABCDラインという単語自体は中学歴史でも出てくるが、詳しい説明はあまり無い。高校歴史にもそんなに無い。具体的には、「なぜオランダがいきなり出てくるのか」とか、気にならない? 中学生当時の自分も疑問に思った気はするが、今まで忘れていた。
北部進駐とその後の枢軸国への接近により、日本は英米から警戒され、石油の輸出を渋られるようになっていく。
そこで代わりに石油の輸入先として選ばれたのがオランダ領東インド*2というわけ。
この交渉がうまくいかなかったので南部進駐しようということになった。
北部進駐のときにやんわりと咎められただけだったので南部進駐もそんなに怒られないだろうと考えたらしいが、アメリカは態度を硬化させ、在米日本人の資産凍結(41年7月)や対日石油禁輸(41年8月)を行う。
石油の備蓄が全然無い日本は、対米開戦を考え始め、交渉は続けるもののうまく行かず、そのまま太平洋戦争に踏み込んでいくのでした。

重要イベントを基点にすることで歴史の流れをスムーズに覚える

第二次大戦前後の日本の出来事としては関東大震災世界恐慌満州事変盧溝橋事件真珠湾攻撃!南部進出!ポツダム宣言受諾!みたいな感じなんだけど(中学歴史レベル)、もう少し詳しい、細かいイベントを追いかけようとしたときに(高校歴史レベル)、「仏印進駐」をがっつり深めることによりスムーズに覚えられることに気が付いた。
歴史的な転換点なので前後の動きを覚えやすいし、いろんな国を満遍なく巻き込んでいるので国際関係を覚えやすい。
垂直方向・水平方向の両方に広いイベントというわけです。

歴史の勉強をする上で、こういう「これを詳しく覚えておくと前後左右が思い出しやすい」イベントが多分他にもいくつかあると思う。
歴史の教科書はイベントがずらーっと並んでいるので、全部を覚えようとするよりは、こういう地味ながら重要なイベント*3を絞って抑えるといいんじゃないかな。

他にも歴史上のこういうイベントを知っている方がいたら、是非教えてください。

*1:載ってる資料集には載ってるかも

*2:ほぼ現在のインドネシア、ジャワ島(首都ジャカルタがある)やバリ島スマトラ島ティモール島ニューギニア島などは聞いたことあるはず

*3:例えばミッドウェー海戦なんかは名前は知られてはいるけど、日米の海戦でそこから押し返され始めたという内容しか含んでおらず、しかも日本が負ける流れはこのイベントを知らなくても常識的に覚えているので、名前だけ知っていればよい。よく耳にするイベントだからといって重要とは限らないということです。