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いつになったらクリエイティブするの?

disるということについて-あんちべ氏のあの記事を読んで思ったこと

まずここ5年くらいは「ご趣味は」と聞かれることのないvivitです。
大学に入れば合コンくらいあるっしょーwwwと思っていた私が間違っていました。
こんばんは。

新社会人の君へ-disるということについて - あんちべ!

今日のお昼くらいにこの記事を読みまして、概ね仰ることには同意するのですが、何か私の胸の奥がズキズキと痛みまして、
「この気持ち……まさか……///」と思いながら筆を取ることにしました。

結論だけ先に書くと、
山笑う ネタにマジレス カコワルイ
と、こういうことであります。

誤解されると困るので明言しますが、上記リンクはあんちべ氏がネタにマジレスしている記事ではないですし、
私がそれをカコワルイと言っているわけでもないです。
むしろ私はあんちべ氏の姿勢を支持すらします。

だからそういうdisの応酬を期待してこの記事を開いた方は帰って、どうぞ。



さて、あんちべ氏が滅多にしないという「◯◯は駄目だ、使えない、役立たずだ」というdisり方について。
問題は「◯◯は駄目だ」という人間は、何故そう口にするのか。どういう人間が口にするのか、ということです。

◯◯に当てはまるのは何でもいいので、ここでは「こいつだけはdisってもいいという風潮」に定評のあるPHPを当てはめて話を進めます。

PHPはお好き? 結構。
ではPHPは駄目? 役立たず?

「例えば、PHPを避ける」ってなぁにその曖昧な書き方?
天下のIPAに「例えば、PHPを避ける」と言われるなんて並大抵のことではないです。
それに対する反論はこの記事に譲るとして、ここで大事なのは、「割と◯◯は駄目だって言われるよ」ということです。
新社会人だけでなく、お偉いさんも言っちゃうわけです。
IPAPHPを全否定してるわけじゃないのですが、これを受けて「あーやっぱPHPは駄目なんだ」と思う人もたくさんいるでしょう。

ここに私の感じた胸の痛みがあります。
何を以って「◯◯は駄目だ」と口にするのか。
上の例で言うと「(強固なセキュリティを求められるプロジェクトでは)PHPは駄目だ」というのがIPAの趣旨です。
文章としてちゃんと書いてあるにも関わらず、大抵の人はカッコ書きを勝手に省略してしまいます。

あんちべ氏は「ある新社会人」への忠告として記事をお書きになりました。
しかし、あんちべ氏の記事を読んだあと、あなたはこう思いませんでしたか?
「なるほど、つまり言語disってのは社会を知らない若造のやることなんだ」

そうじゃないんです。
いや、そういう説教したくなる若造というのはたくさんいるでしょうが、
「◯◯は駄目だ」スタイルでdisる人が必ずしもその手の若造というわけではないのです。

ネタとして「◯◯は駄目だ」と言っていたとしても、本当はちゃんとバックヤードを理解しているかもしれません。
例えば私は「C言語は駄目だ殺せ、C言語」とたまに口にしますが、
C言語がLLの載せられない組み込みの世界ではまだまだ必要不可欠であることを知っていますし、
実際にそういう場面に遭遇して体験しています(まさかC言語でCGIを組むことになるとは)。
正確には、「(大学の授業でさも初心者に最適な言語みたいなツラして出てくる)C言語は死ね」なのです。
しかしもちろん、ネタで言ってる場合、カッコ書きは省略します。

けれども、上のあんちべ氏の記事を読んだ人が「C言語滅びろ」だけを見て何を思うでしょうか?
もしかしたら、とっておきのご高説を垂れ流したくなるかもしれません。
「今時の若いモンはそんなことも知らないのか。いいか、C言語というのはかの有名な……」

ネタにマジレス。水を差された方は、たまったものじゃありません。

若造には説教したくなるものです。
しかし、そういう雰囲気が蔓延するあまり、ネタとして言語disを楽しみにくくなるのは、いささか困り物です。
安易なお説教を垂れ流す前に、「それはひょっとしてギャグで言ってるのか」どうか、見極めていただきたい。


あんちべ氏の姿勢は支持します。
嫌いなものはどんどん(主観的に)disるべきです。
しかし、客観的なdisり方が、必ずしも無知から来るものでは無いということを、どうか心に留めておいていただきたいと思うのです。