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僕のプログラミング言語遍歴(Perl編)

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個人的な経験をもとにプログラミング言語を擬人化すると、Perlの場合、それは近所の、顔はよく見るけど名前は分からない(学校が違うので)同級生である。

最初にPerlの名前を知ったのはいつだっただろうか。
中学に入ってすぐか、もしかしたら入る前くらいかもしれない。
少なくとも、顔は小学生の頃から知っていたはずだ。
JS姉との経験で大人になった気分になっていた僕は、次なる目標としてPerlのことを追いかけていたのだが、声を掛けるのがせいぜいで、実際に深い付き合いになるのは高校生になってからだった。

JS姉のおかげでプログラミングを覚えたはいいものの、JS姉が出来ることの限界を超えることはできなかった。
ブラウザを閉じればそこまでなのだ。
時間経過に従ってリアルタイムに進行する、多人数参加型非同期ゲーム。
ゲーム好きな僕が、インターネットで遊ぶことを覚えた後、その存在にたどり着くまでにそう時間はかからなかった。
それはCGIゲームと呼ばれていた。

CGIゲームを作りたいと長いこと願い続けてきたが、それが叶うことはなかなかなかった。
JSと違い、htmlにソースコードを貼り付けただけで動くようなものではないからだ。
ただ、Perlと呼ばれる彼女がそれを形作っているということは分かっていた。

彼女との距離が縮まるのは、些細な出来事がきっかけだった。
高校2年くらいの頃だっただろうか?
いつもそんなことは言わない父が、珍しく「これをやるから本を買ってきて読め」と臨時の小遣いを渡してくれたのだ。
僕は五千円札を握りしめて書店に向かった。
そのときにたまたま彼女と出会ったのだ。
僕はしばらく迷ったが、意を決して彼女に話しかけた。

10日でおぼえるPerl/CGI入門教室

10日でおぼえるPerl/CGI入門教室

彼女との逢瀬はいつも、学校が終わってからだった。*1*2
学校が違うので校内で会うということもなく、いつも帰って彼女に会うのが待ち遠しかった。
休日ともなれば、一日中付きっきりで何時間でも彼女とプログラミングを楽しんだ。

彼女から学んだことはとても大きかった。
一番大きかったのはプログラムをサーバー上で動かすということで、つまりクライアントサイドとサーバーサイドという概念である。
これはJS姉は教えてくれなかったことだ。だから僕はそれらの区別がついていなかった。
有り難いことに、当時大体のレンタルサーバーPerlCGIとして動かすことができたので、僕は作ったものを手軽にwebに放流することができた。*3

独学で苦労しながらも、僕はついにCGIゲームを一つ作り上げた。
それは今見るとひどい出来で、拙いとしか言いようのないシロモノだが、とにかく。
「プログラムで何でもできる、やってやる」と、僕はそのときいっそう調子に乗ったのであった。
今僕がwebアプリを作ってお金をもらっているのも、元をたどればこの経験のおかげ、彼女のおかげに他ならない。

ゲームを完成させてからは、ちょこちょこバグ取りやアップデートなどを続けてはいたが、僕の興味はCGIゲームよりもフリーゲームRPGツクール製ゲームに移っていったので、自然と彼女との関係も薄まっていった。
結局、そこが彼女とのピークで、高校を卒業してからは、彼女とのツーショット写真を見て思い出に浸ることはあっても、彼女と会ったりはしなかった。
僕は大学に通うために上京してしまったから、彼女が今何をやっているかは分からない。
人生の出会いと別れは、あの頃はまだ知らなかったことだ。

今でも、学校が終わった後、夕日の差し込む自分の部屋で、二人きりで過ごした時間を思い出す。
あの頃語り合ったようなプログラマに、今の僕はなれているだろうか?

*1:学生なので当然だが

*2:ただ大学になると当然でもなくなる

*3:ただしSQLは使えなかったので、僕がSQLと出会うのはまだ先の話になる