いつクリはてブロ

いつになったらクリエイティブするの?

自分で作ったカードゲームのデザイナーズノートを書いてみた

 ※これは文学フリマに出したサークルの機関誌に載せた原稿で、ついったでも割とアナログゲームの話をしたりするので、こちらに転載してみる。
ちょこっと加筆修正済み。
本文でも触れてるけど、CIVIPOIDという箱庭的なカードゲームの話です。

前書き

 ゲームをプレイすることと同じくらい、ゲームを作ることが好きで、幸いにして大学には作ったゲームのテストプレイに付き合ってくれる友人がいる。だから入学してからいくつものゲームを作っては投げ作っては投げしてきた。しかし、作ったところで満足してしまうので、例えば「テストプレイでどんなことが問題になったか」だとか、「このゲームはどんなことを考えて作ったのか」など、そういう制作中の様子が分かるものは、ほとんど残っていない。良くてレシートの裏に書いた走り書きのメモくらいである。
 今回デザイナーズノートを書いたのは、どういう風に考えてゲームを作ったかを記録として残し、次回以降に繋げようと思ったからだ。また、周りのゲームデザイナーと思考を共有するためにも有効と思われる。作って終わりではもったいない。
 カッコ付けてデザイナーズノートという名前を冠し、サークルの原稿として提出することにしたのは、もうひとつ理由がある。ちょっと前に『ゲームデザイン脳―桝田省治の発想とワザ―』という本が流行った。これを読んでいる方の中にもこの本の読者がいるかもしれない。言うまでもなく、私も読んだ。ゲームを作る過程を読むことで、ゲーム制作を追体験できる。ゲームを作る人にとって面白くないはずがない。また、後述する『シヴィライゼーションⅣ』のマニュアルにも、付録としてデザイナーズノート*1が記載されており、前作をどう改良するか、いかに新しい要素を盛り込むかなど、どれひとつ取っても様々な思想の上に成り立っているのだな、と感心した覚えがある。
 どちらも読み物として大変面白く、それらを真似して書いてみたらどうなるだろうと思って今回筆を取った。

CIVIPOIDって?

 ここでゲームの概要に触れておく。地球上の、『CIVIPOID』をプレイしたことのある十数人以外の方のために。
 今回題材とする『CIVIPOID』は、プレイヤーがそれぞれ一国の大統領となり、建築物を建てたり政令を発令したりして勝利を目指すゲームである。プレイヤーは経済勝利、制覇勝利など数種類の勝利条件の中から、自分の手札や盤面と相談しながらいずれかを目指すことになる。
 このようなコンセプトは、実は開発開始よりずっと前からあった。私はいわゆる箱庭系シミュレーションゲーム、すなわちシヴィライゼーションシムシティトロピコ箱庭諸島のような、建物を建てたり人を配置したりして進めるゲームがすごく好きだ*2。あまりに好きすぎて、気が付いたら朝、どころか気が付いたら夕方、などということも数えきれないほどある。なので、この魅力を他の人と共有したい、自分の手でそういうゲームを作ってみたい、といういくつかの動機があって、作る機会を虎視眈々と狙っていたのである。
 ただ、いつもはゲームコンセプトを思いつき次第制作に取り掛かるのだが、今回の場合はちょっと違って、アイディアをカードゲームという媒体に落とし込むまでにいささか時間が必要だったし、思考の転換も求められた。デザイナーズノートのネタとしておいしいから結果オーライなのだが。

題材の決定、ゲームの形式など

 前置きが長くなってしまった。本題に入ろう。

題材

 ゲームを作るとき、私はまず題材を決定する。今回は先に書いた「対戦型箱庭ゲー」である。また、それとほぼセットで「ゲームの形式」を決める。今回の場合は「各プレイヤーがドラフトによって個人のデッキを作成し、それを使ってゲームを進める」こと、「カードゲームで、一種類のカードのみを使い、カウンターなどは用いない」ことが比較的早い時期に決まっていた。

ドラフトでカードを揃える

 ドラフトとは、TCG(トレーディングカードゲーム。ここでは特に、デッキと呼ばれる自分のカードセットを構築して対戦するものを指す)などでデッキを作成する際に用いられる方法である。まず、プレイヤーはそれぞれ決まった枚数のカードを持つ。次に、その中から一枚選び、自分の手元に伏せて置き、残りを右隣のプレイヤーに渡す。それを手元のカードが無くなるまで繰り返し、無くなったら次のカードを用意する。それを数回繰り返し、デッキを構築するわけだ。
 これをコンセプトに当てはめて考えてみる。カードセットを各プレイヤーに配り、ドラフトでデッキを作成する。例えば兵器カードをたくさんデッキに入れて侵略戦争の準備をする、科学立国を思い描く場合は研究所や大科学者などのカードを揃える、といった具合だ。カードセットにあるカードの枚数は決まっているから、皆が皆兵器カードを集めようとするとどの国も中途半端になる。だから他のプレイヤーがどんなデッキを作るか考えながらドラフトを進める必要があり、また自分のデッキに必要のないカードでも、相手のデッキ構築を妨害する意味で自分の手元に加えるという選択肢もあったりして、デッキ構築の時点で駆け引きが生じる。プレイヤーは自分の国の大統領なので、どんな国にしたいかはプレイヤー次第。ゲームの雰囲気にもぴったり合う。
 ちょうど制作していた時期に『ドミニオン』というカードゲームと出会って、「デッキを作る」ことそれ自体がゲームに成り得るということに衝撃を受けたので、その影響もある――とにかく他のゲームに影響されてしまう性分らしい。

一種類のカードのみを使う

 「一種類のカードのみを使う」というのは、私がゲームを制作する時にしばしば取り入れているルールである。カードゲーム・ボードゲームでは、ゲームによっては2種類以上のカードを使い分けることがある。例えば『カタン』では資源カードとチャンスカードの2種類があり、『モノポリー』もチャンスカードと共同基金カードの2種類がある。このように複数のカードのカテゴリを作ることは、ゲームを作る上でよく使われる手である。しかしそれをあえてしないのは、私の製作環境が大いに関係しているので、そこに触れようと思う。
 そもそも私がゲームを作る上で、その媒体としてカードゲームを選んでいるのは、それが簡単だからというごくシンプルな理由からである。何かいいアイディアを思いついたら、紙にテキストを書き、それをカードスリーブに入れるだけでいい。これがコンピューターゲームとなると、長く険しいプログラミングの路を進まなければならないことになる。ゲームの制作において私はとにかく勢いを重視するので、カードゲームは大変都合が良いのだ。
 カードを1種類のみに限定するのは、そこに関係がある。2種類のカードを使う場合、ゲーム中それを明確に区別する必要があり、市販のゲームではカードの裏面のイラストをそれぞれ違ったものにしていることが多い。手作りのカードゲームでそれを実現するためには2種類のスリーブを用意したり、透明のスリーブを用意したりする必要があるが、いざやろうと思ったときにそれが用意されているとは限らないし、1種類のカードのみに限定すれば使うスリーブのは1種類で済む。「それくらい用意しろよ」と突っ込まれるかもしれないが、私にとっては制作に対するやる気が消え失せる前に実行することが何より大事なのである。ゲームをプレイするまでの手間を全力で省くことが必要だ。
 また、カードを複数用意するとプレイ中、あるいはプレイ後に片付ける際に混ざってしまうという難点もある。特に手作りだとカードの大きさが同じなので、混ざりやすい。別々に保存するのは面倒だし、普通にプレイを始めてから別のカードが見つかったりすると興が削がれる。
 カウンターや駒、シートなど、ボードゲームのようにカード以外の用具については、面倒臭さはもっと顕著である。手作りで用意するのは難しかったり、駒が他と区別が付きにくかったり、扱いにくかったりと、カードの数倍面倒である。今回はできるだけシンプルにすることを目標としたので、カード以外は一切使わないことにした。

困ったことになった

 勢いに乗ればテストセットを制作し実際にプレイするまでそんなに時間はかからない。しかし、今回の場合は上まで決まった時点でしばらく制作が止まってしまった。先のコンセプトをゲームに組み込むためにいろいろなアイディアが湧き過ぎて、まとまりが付かなくなってしまったのである。そもそもモデルとした『シヴィライゼーション』が様々な要素が複雑に絡み合ったゲームなので、当然といえば当然なのだが、欲張って何でもかんでも取り入れようとするのがいけなかった。

無尽蔵に増えるカード

 まずどんなカードがセットに入っているかを考えてみた。箱庭ゲーであれば建物カードが必要になる。普通の建物でなく、ピラミッドやパルテノン神殿など世界的に有名な建物も欠かせない。科学力の概念を取り入れるなら取得技術や科学担当官などの要素を用意したいところである。外交やスパイなど、プレイヤー同士が交渉できるのも面白そうだ。国家間の戦争を取り入れるなら歩兵を始め戦車や戦闘機などの兵器カードも取り入れたい。などなど。
 カードの種類が増えるにつれてカードセットの枚数も増える。当然だ。しかし、カードの枚数が増えるということは、製作する工程において悩みの種が増えるのと同義である。具体的には、実物のテストセットを用意する手間がえらく増えるのだ。カードをプリントアウトして、枚数分コピーして、はさみでバラバラに切って、一枚ずつカードスリーブに入れるという地味な作業を、早くプレイしたい気持ちを押さえつつこなさなければならないのである。しかもこれはカードのテキストに修正を加える度に同様の作業が発生することを意味している。

考えることが多すぎる

 カードの種類とともに増加するのは、単純にカードの枚数だけではない(これは制作時の苦労であって、ゲームを遊ぶ側からするればささやかなことだ)。要素を多く詰め込み過ぎることによってゲームが複雑化する方がよほど問題である。
 再び『シヴィライゼーション』の話を少し。プレイヤーは自国の資金力、科学力、他国との関係、個々の都市の維持費や満足度、不衛生など、様々なことに気を配り、1ターンごとに行動を吟味し選択しなければならない。複雑で考慮することが多い分、うまくこなせたときの快感も大きい。世のシミュレーションゲームの醍醐味である。
 しかし、これはコンピューターゲームだから実現できることである。アナログゲームには限界があるのだ。例えば、盤面のある数値が複数のカードの効果を受ける場合、その度に計算しなければならず非常に面倒である――このユニットの攻撃力はこの建築物とこのユニットの効果で+2されてて、相手の政令カードの効果でこのターンだけ半分になるから……。これが盤面に何枚も展開されていることを考えよう。無理。
 これが1対1のゲームだったらまだしも、4人以上でプレイすることを前提としているのでさらに話は難しくなる。プレイヤーは人間なので、必ず思考時間というものが発生する。複雑過ぎるゲームは、プレイ時間の多くが思考時間に割かれてしまうだろう。「自分のターンが回ってくるまで、いったいどれだけ待てば良いのだろう?」……待ち時間は極力減らす必要がある。

プレイ時間も増える

 プレイ時間が増えると、制作の上でも不都合だ。具体的にはテストプレイのときに困る。ゲームを仕上げるためには周りの人を捕まえてテストプレイをする必要があり、付き合ってもらう(もちろん1度や2度では済まない)ためにはプレイ時間の短い方が有利であろう。
 ルール説明の時間も重要だ。ルール説明に三十分もかかってしまえば、最初の方に説明したルールは忘れてしまうだろう。
 というわけで、構想を広げ過ぎた結果、このゲームはカードゲームで扱える領域を遙かに超えてしまったのだった。製作中最も長かったのは、このゲームをいかにして単純化するかに悩んでいた期間である。

二者択一で風呂敷をたたむ

 ブレイクスルーが訪れたのは「大統領の出す『政令』の要素を組み込んでみたらどうか」と思いついたときである。政令となると一回きりの使い捨てカードになるだろう。それをゲームに組み込むとさらにカードが増えるではないか……。そう思ったところで、ふと思いついた。二者択一にしてみるのはどうか。一枚のカードに二つのテキストを書く。プレイヤーはそのどちらかしか使えない。例えば発電所の場合、建物として建てて経済ポイントを稼いでもいいし、政令「インフラ整備」として使用することで手札を一気に増やすこともできる。
 プレイヤーの選択肢は増えるが、同時に葛藤を生む。反面、カードの枚数は半分になる。
 これはいける、と思った。最初は一部のカードをそうするつもりだったが、いっそのこと全部二者択一にしてしまえ、と思い切るまでにそう時間はかからなかった。建築物カードのバリエーションを考えているうちに、「もう建築物と政令だけでいいや」という発想にすら至った。兵器ユニットや科学技術なども「陸軍基地」や「研究所」などの建築物に機能を移してしまえばカットできる。
 思いついてからは早かった。プレイヤーは建築物を建てたり政令を発令したりして、いずれかの勝利条件を満たすことを目指す。カードは建設物と政令の2つのテキストが書かれたカードのみ。基本的には建設物に用意された幸福ポイントか経済ポイントを稼ぐことになるが、特定の建築物を揃えるなど特殊な勝利条件も用意する。カードセットの中には同じカードが複数入っているが、その枚数が少ないほど強力な効果を持つ。それから、一枚ずつしか存在せず、純粋に建築物としてしか使えない「世界遺産」カードも何枚か入れる。ここまではあっという間に決まった。ルールが頭の中でうまくまとまったので、カードテキストを書いて実際に遊べるようテストセットを用意するまでに一日もかからなかった――テストプレイの前日に徹夜で仕上げる、なんてことは避けるべきだったとは思うが。

テストプレイで浮上した問題

 即日行われたテストプレイの評判は上々であった。テストプレイとテキスト修正を何回か繰り返して、『CIVIPOID』は完成した。まだ構想段階だが、いずれ同人グッズ即売会などで頒布する予定である。
 と、当初の「対戦型箱庭ゲー」を作るという目標は達成されたわけだが、いくつか問題点や予想通りにならなかった点があったので、それについても記しておこうと思う。

テキストの複雑さ

 一つ目は、カードテキストが複雑であったために、普段からデッキ構築対戦型カードゲームを遊んでいる人でないとゲームに入り込めないという問題。
 これは指摘されるまで全く気付かなかった。カードゲームといったらトランプやUNOを指す。一般的にはこうだろう。ところがサークルの仲間内ではそうではなく、皆がいわゆるTCGに慣れ親しんでいるので、そのことをすっかり忘れていた。
 テストプレイのときは時間を長く取り丁寧に説明することで対処したが、初心者お断りという欠点自体はゲームから取り除くことは不可能であった。

ドラフトいらなくね?

 二つ目は、ドラフトで自分のカードを決める必要性があまりなかったということ。
 当初のコンセプトの一つとして、ドラフトで自分の国の方向性を決めるというのがあった。しかし、カードテキストが複雑(またしても!)であったために、ドラフト中にテキストを読む時間が必要になり、プレイ時間が延びてしまうという問題が起きた。また、そうしてドラフトで自分好みのカードを揃えても、うまく狙い通りに進むかというとそうではなくて、「あのカードが来れば勝てるのに……」という状態のままゲームが終了してしまったり、かと思うと狙い通りにカードが来過ぎて、ドラフトの後、ゲーム本編が始まってから10分もしないうちに独り勝ちでゲームが終わってしまったりと、非常にアンバランスな結果になってしまった。
 ドラフトはカードを集めるのに有効ではあったが、それゆえに期待が高まってしまい、勝ったときの嬉しさよりも、負けたときの悔しさの方が大きくなってしまったのである。これはあまり望ましくない。
 テストプレイヤーの一人の提案によりドラフト無し、手札ランダムで始めてみたところ、何の問題もなくゲームが進んだ。むしろ、手札に来たカードから勝利までの道筋を考えるという非構築型カードゲームらしい思考ができるようになったので、プラスですらあった。間もなくドラフトはカットされた。

まとめ

 以上で『CIVIPOID』の開発はひとまず終了。現在は製品化(同人だけど)に向けて細かなバランス調整を行ったり新しいカードを作ってみたりといったところである。
 最後に、今回の経験で得たゲーム開発についてのポイントをまとめようと思う。

    • 面倒なことはしないこと。
    • 風呂敷を広げすぎず、取捨選択してまとめること。
    • 思いついたらさっさとテストセットの作成まで持っていくこと。
    • 実際にプレイしてみて面白くなかったら、根本的な変更を厭わないこと。

 もし読者のあなたが、この文章を読んでわくわくしたら、是非自分のゲームを作ってみることをおすすめする。そのときに今回の事例が何かの参考になれば、とても幸いです。

*1:これ読んだらこの文章が陳腐化するから後にしてください。

*2:廃人がゲームを作ると廃人ゲーになる。これ豆