いつクリはてブロ

いつになったらクリエイティブするの?

終わること、終わらないこと

メリークリスマス!
この記事は、「どもがよアドベントカレンダー2023」最終日の記事です。
また、「vivit_jcアドベントカレンダー2023」最終日の記事でもあります。

adventar.org

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昨日の記事はうのはな透さんの「Vket2023wに出展した話」でした。
unohanat.hatenablog.com

うのはなさんは申し込みから当日までの作業工程を細かくdiscord内で共有していて、さぎょイプにもずっと参加していたので、間近で出来上がっていく工程をずっと見ていました。
今作はとにかくうのはなさんの凝り性の集大成という感じで、アバターの造形もギミックも凝ってるしブースのギミックも凝ってるしPVも凝ってる。何もかもにこだわりを感じます。
PVの絵コンテを見た時は驚いて椅子から転げ落ちました。
これを(値段を付けて売るという面はあるものの)趣味でずっとやってたんだから本当にすごい。
そしてこれを実現するために毎日コツコツ、本当に毎日コツコツ進めてたのが何よりすごいところ。219時間も掛かったノ???
来年は、いや今日からでも、うのはなさんを見習って毎日少しずつ進める力を身に着けていきたいと思います。
(そしてブログを見て漫画はもっと時間がかかるのを聞いてさらにビビってる。過酷すぎるだろ……)

12月に見た2つの終わり

12月に入って、個人的に深く印象に残った「終わり」がありました。
http:// https://www.famitsu.com/news/202312/15327878.html
ダンジョン飯』ついに完結。13巻&14巻(最終巻)が本日(12/15)同時発売。悪魔を止められるのは冒険者ライオスのみ

https://twitter.com/nijisanji_app/status/1734468144289435744
【卒業のご報告】

今回は「終わること、終わらないこと」というテーマで、私の感じたことをつらつらと書いていきたいと思います。
実は1日目の記事「変わること、変わらないこと」との対比になってます。

https://vivit-jc.hatenablog.com/entry/2023/12/01/220340vivit-jc.hatenablog.com

ダンジョン飯、無事終わって良かった

ダンジョン飯』のグランドフィナーレ、とても良かったですね。
1度読み終わった後もしみじみと読み直したりしています。
未読の方は是非読んでください。ちなみにこの記事にはネタバレはありません。

コンテンツについて、終わって悲しい、終わらないで欲しいと思うか、早く終わって欲しいと思うかは作品によって違いますが、私にとってダンジョン飯はやや後者寄りでした。
年に1回くらいの刊行ペースなので存在を忘れがちだし、内容が濃厚な分、新刊が出た時に前のストーリーを忘れてついていけなくなりがちなので、そんなに時間が経たずに完結してくれて本当に良かった。
(それでも第一巻の発売が2015年なので、もっと早く終わっても良かったかも?)
きらら系の漫画やラノベも結構途中で揃えるのを止めてしまいがちなので、サクッと終わってくれるのは有り難い。

逆に、個人的に今年触れた中で「終わっちゃって悲しい」と思ったコンテンツは、映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』と『逆転裁判1,2,3』でした。
どちらも丸きり終わりではなく、続編がある(ありそう)なんですが、オリジナルメンバーがもう元のまま出てこないと思うとやはり寂しい。
漫画、映画、ゲームの媒体に限らず、終わらないで欲しいと思うか、終わって良かったと思うか作品によって分かれるのは、一体どこに理由があるんだろう、と考えた一年でした。

終わらないこと、終わらせないこと

世の中には「アニメの最終話を見ると終わってしまって寂しいから見ないでおく」という人が、結構いるらしいです。
そんなヤツ『機動戦艦ナデシコ』の中にしかいないだろ、と思っていたんですが、どうやら普通にいるらしい。

https://www.youtube.com/watch?v=oiIOHZBDRMwwww.youtube.com

ちなみに『機動戦艦ナデシコ』は現在Youtubeで無料公開されているので、未見の方は是非見てみてください。
割としっかりSFしていて面白いです。ノリが90年代なのが今見るとアレかもしれないけど……。

それとはまた別に、そもそも追いかけてるコンテンツの続きが出てこない、ということがあります。
HUNTER×HUNTER』なんかが有名なところですね。
個人的にずっと待ってるのが『のうりん』です。(作者が『りゅうおうのおしごと!』で忙しいのでしょう)
ネットを彷徨っていると、気に入った作品の続きが全く出てこないことは、日常茶飯事です。

HUNTER×HUNTER』は、作者が生きているうちに完結できるのか、みたいな話もよくされます。
一方、『サザエさん』を筆頭に『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』『ちびまる子ちゃん』など誰もが知る国民的アニメは、みんな作者は故人です。漫画では『ゴルゴ13』などもそうですね。
これは他者(組織)によって終わることのない存在としてシステム化された稀有な作品です。
冷静に考えると昭和中期頃の舞台設定で数十年話を回していて、画面には携帯電話もパソコンも薄型テレビも出てこないというのはグロテスクにも思えるのですが。
ゼロの使い魔』は、作者がガンに倒れ亡くなってしまいましたが、構想は練られていたので完結することができました。

漫画や小説は基本的に一人の作者によって築かれているので、その作者の「終わり」が先に来れば途中であっても終わりを迎えてしまいます。
その「終わり」とは作者の生命を指すこともありますが、単純に別の事情で続けられなくなったというのがほとんどでしょう。
なので、作者が生きていることが確認できれば、望みを持ち続けることはできます。

Vtuberの卒業について思うこと

Vtuberの卒業の知らせを聞いて毎度思うのが、「卒業を明示せずこのまま放置していればいいのに」ということです。
アイドル活動、音楽活動は、ファンや運営会社の都合を思うと継続できなくなった時点で活動停止を明示した方が良いのでしょうが、Vtuberはそれに当てはまらないんじゃないかと。
にじさんじにだって年に数回しか配信してないとか、デビューから3回しか配信してないライバーがいるので、そういう感じで自分の制御できる範囲に頻度を落とせばいいのになーと毎回思います。
活動中止にして、たまにひょっこり顔を出すとかね。

そう思う理由は、先に書いた「生きているなら、続きを見たいという望みを持ち続けることができる」からです。
漫画や小説、映画と違って終わらせる必要の無い活動を終わらせられるのは、寂しいです。
これについては「早く終わって欲しい」と思うことはあまり無いです。

ただ、卒業したい、今の活動を終わりにしたいという気持ちはある程度は理解はできます。
現在のペルソナを破棄していつでも新たな自分として再出発できる、というのはネットの良い面でもあるので。
その人がそのペルソナを終わらせても、人生は続いていくので。
でも、そのペルソナしか知らない人にとっては、死と同義なんですよね。
誰かが死ぬのは悲しいです。

Twitterは死んだ。明確に。

私はTwitterからたくさんのものをもらいました。
20代の時期をTwitterとともに過ごせたことは、生涯に渡る財産になりました。
でも、今年Twitterは死にました。

webサービスにもクローズという明確な「終わり」はありますが、少なくとも維持されている限りは続きます。
5ch(旧2ch)、mixiニコニコ動画、かつての覇者は今も生きています。
ただ今までは、熱意が冷めていったり次の覇権サービスに移ったりしたことが原因で自分の中での終わりを迎えたのに対し、Twitterはもっとずっと使いたいと思っていたのに終わってしまいました。
一体なぜこんなことになったんだろう。

漫画や小説が一人の作者に支えられていて、作者が継続できなくなってコンテンツが終わるのは理解できます。
Vtuber等のペルソナ的コンテンツも同様に、継続できなくなってしまう事情は理解できます。
膨大な数の人やコミュニティを支えるwebサービスがたった一人の人間によって終わってしまうことは、未だに理解できていません。

でも、それですら、他人が作ったものに勝手に期待しているだけで、終わらないで、変わらないでと願うことは、わがままなんですよね。

コミュニティの終わり

どもがよサーバー発足の日は2020年11月10日。今年でもう丸3年になります。あっという間ですね。

最初期メンバーのうち、やがもんさんと柳雪さんは、TwitterCivilizationクラスタから派生したボードゲームコミュニティで知り合った人たちです。
あおいたくさんは、TwitterのDXRuby(プログラミング言語)クラスタを通じて知り合いました。
jinさんは、学生時代のボードゲーム仲間であるけんぼーさんのご紹介で知り合いました。
朱里さんは、サーバー発足時にやがもんさんが連れてきてくれた人ですね。

当初はAmong Usを遊ぶためのサーバーでしたが、今ではもっと様々な活動をするそこそこ大きなコミュニティになりました。
毎日楽しく色んなことをやっていられるのも、どもがよサーバーの皆様のおかげです。いつもありがとうございます。
どもがよサーバーについては、その構成員がゲームを遊ぶことに対してものすごく意欲的で、流行のゲームや新作ゲームに常に食らいついていく、そういう点を私は非常に信頼しています。
それはおそらく他の方々もそうで、それがこのコミュニティの結束の礎になっていると考えています。

ところで、コミュニティにおける「終わり」とはなんでしょうか。
最もありそうなのは、明示的に「解散」として終わりにするか、自然と人が消えていって自然消滅するか。
でも、そこから派生して、人を少し変えてまた新たなコミュニティが発生したりもしますよね。
メンバーそれぞれの人生は続いていくので。

ボイスチャットをしながらゲームをひとしきり遊んだあと、ふとどもがよサーバーの「終わり」について想像することがあります。
いつか誰もサーバーに集まらなくなって、思い出のひとかけらになっていくのかな。
一人また一人と、だんだんゲームより大切なものができていくのかな。
そう思うと寂しくなってしまいますが…………
まあ、向こう何年かは、大丈夫かな!

来年もよろしくお願いします

今年は様々なゲーム、そしてゲームだけでなくクリエイティブな流行も拡大した一年でした。
来年はどんなことがあるのか、今から楽しみです。
来年も、そしてその後も末永く、よろしくお願い申し上げます。

それでは、どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。